拡散していけど、とりもなおさず RSSフィード

2006-07-1420060714

[]Golden 01:29 Golden - 拡散していけど、とりもなおさず を含むブックマーク はてなブックマーク - Golden - 拡散していけど、とりもなおさず Golden - 拡散していけど、とりもなおさず のブックマークコメント

 今日は、ブログ否定論について書こうとしたのだが、何分、やる気が無かったので、あえなく延期


 夏のせいだったり、酒のせいだったり、休みのせいだったり、要は、自分の体調管理のせい、というのは、幾度と無く書いてきたことなのだが


 まぁ、夏が終わるまでは、この無気力な感じは、終わることが無く(いや、冬は冬でやる気が無くて、一年の半分、或いは、それ以上、やる気が無い、とぼやいているのだが)、何だかんだと、言い訳を言い続けるだろう


 


 さて、今回書こうと思うのは、そんなことではなく、「ブラックボックスは、公開すべきか?」ということ

 此処で言う、ブラックボックスとは、思考回路のこと


 

 確かに、好きなブロガーがいたら、自分の場合は、色んなことが知りたくなる

 

 普段、どんなサイトを巡回しているか

 どんなブラウザを使っているか

 どんな映画や小説、音楽が好きか

 何歳ぐらいか

 読者に、どんな行動をして欲しいか/欲しくないか

 何故、そんな記事を書いたか

 ブログを始めた理由

 


 そして、ブロガーが、それを書いてくれるのは、正直、嬉しい

 しかし、悲しい


 例えば、巡回しているサイトがわかれば、どんな記事を書くかが予想できてくるし、好きな小説家がわかれば、その文章から影響を受けた=そのブロガーの個性だと思っていた文章が、そうは見えなくなる、という結果になることもある


 ブラックボックスにも、自己申告のもの(たとえば、プロフィールとか、はてなブックマークといったもの)から、その行間から、微かに読み取れるものまで様々


 

 ブログを、日常生活に置き換える人は、自分も含め、多いのだが

 その日常生活で、ブログみたいに、ブラックボックスを公開しているだろうか?

 一々、周りの人に聞こえるように、昨日見た映画の感想やら言うだろうか?


 ブロガーは、神秘的な存在ではなく、紛れも無く、ただの人間である

 だから、ブラックボックスは、公開すべきでない(いや、好きなブロガーは、して、お願い、いや、お願いします)

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2006-07-1220060712

[][]エントリを連発する、10の理由 23:55 エントリを連発する、10の理由 - 拡散していけど、とりもなおさず を含むブックマーク はてなブックマーク - エントリを連発する、10の理由 - 拡散していけど、とりもなおさず エントリを連発する、10の理由 - 拡散していけど、とりもなおさず のブックマークコメント

 1.ブログを、書くのが好きだから

 2.ブログを、読むのが好きだから

 3.興味を持っていることが、多岐に渡るから 

 4.普段の生活では、誰も話を聞いてくれないから

 5.衒学者だから

 6.はてなブックマークされるのが、快感になったから

 7.寂しがりやだから

 8.それを、自虐ネタとして、活用できるから

 9.暇だから

 10.ハイパーグラフィアだから(この言葉が使いたかっただけに違いない)

[][]ever after 22:26 ever after - 拡散していけど、とりもなおさず を含むブックマーク はてなブックマーク - ever after - 拡散していけど、とりもなおさず ever after - 拡散していけど、とりもなおさず のブックマークコメント

 「歓楽叶わぬ納骨堂庭園」の、「私は心の声に従って行動するだけだ」を読んで

 xuraさんの考えを否定する心算は、ない

 以下は、自分の考えを述べているだけなので、リンクする必要も無いかもしれないが、一応



 勿体を付けるわけではないが、これから書く考えというのは、いつも書くことを躊躇うことで

 皮膚感覚では、自分の意見としてはっきりしているつもりなのだが、言語化してしまうと、上手く伝えられるものではない、というか

 自分は、無宗教であるはずなのに、変に宗教的であったりするし

 「鏡の法則」チックな感じもする



 さて、本題

 「情けは人のためならず」という言葉が好き、というのは、書いたとおり

 誤用が多いのは、ググってもらえばわかるとおり


 誤用ではない、本来の意味で取ると、功利主義的な意味合いがあるので、「人情を、損得勘定で測るなんて」と思う人がいて、当然


 しかし、話は少し飛ぶのだが、自分は、人の感情や行動は、連鎖している、と考えていて

 人に取った行動や、与えた感情は、直接・間接を問わず、跳ね返ってくるし、自分の取った行動が、思わぬ人やものに、影響を与える

 同じように、誰かの善意や悪意も、自分に影響を与え、今、自分が幸せでいられるのも、誰かの善意のお陰だ、と思う

 

 だから、自分の幸せや、他人の幸せに、自分の善意が必要だ、と

 まぁ、自分は、人間が小さいので、この考えを、全ての行動において、実行しているか?と自らに問うても、そうではない、と即答できるのだが



 精一杯、説明しようとしたのだが、いまいち、説明しきれない

 自分の考えなので、他人に受け入れて欲しい、といった類の考えではないので、理解されなくて困る、ということでもないのだが

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2006-06-3020060630

[]もっぱらの半分は、自虐で、できている 00:41 もっぱらの半分は、自虐で、できている - 拡散していけど、とりもなおさず を含むブックマーク はてなブックマーク - もっぱらの半分は、自虐で、できている - 拡散していけど、とりもなおさず もっぱらの半分は、自虐で、できている - 拡散していけど、とりもなおさず のブックマークコメント

 「明日は明日の風が吹く」の、「ブログ論を、語るな」についてのエントリを読んで


 本当は、コメントをしようと思ったのだが、思いの外、長文になりそうだったので、TBさせていただこうと思う


 「明日は明日の風が吹く」は、「歓楽叶わぬ納骨堂庭園」

経由で、何度か、記事を読ませていただいている


 「歓楽叶わぬ納骨堂庭園」は、ブログ論や、他のブログについて言及していくスタイルで、愛読させてもらっている

 即ち、もっぱら=ブログ論大好きな人間である、ということを、強調しておきたい


 そして、あのエントリは、「ブログ論を語ることの、弊害」について、意識的に書いたものであって、ブログ論を語ることの長所だって、もちろん、ある



 まぁ、ブログを書く人間は、ブログ論に、一家言持っているものであり、語りたくなる

 しかし、その手綱として、「ブログ論を、語るな」という言葉を、自らに、囁き続けるべきだと思う

 それでも、書きたくなったら、それはそれで

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2006-06-1020060610

[]わからないことが、わからない 12:36 わからないことが、わからない - 拡散していけど、とりもなおさず を含むブックマーク はてなブックマーク - わからないことが、わからない - 拡散していけど、とりもなおさず わからないことが、わからない - 拡散していけど、とりもなおさず のブックマークコメント

 歓楽叶わぬ納骨堂庭園の、そっとして置いて欲しい変化もあるのだよ

を読んで


 正直、xuraさんがわからないところが、書いていないので、わからないのだが、その部分を、推測しつつ


 


 まず、自分が書いた、「他人の、題名を付ける才能が、羨ましい」というエントリの解説から

 このエントリは、(特に、読者からのフィードバックを期待する)ブロガーが、自らの主張を変えた場合、その主張が、今まで自分が書いたエントリと大いに関係する場合は、報告すべき、という自分の考えを書いたもの


 

 ・主張1.ブロガーに、限定する

  実生活で、主張の変化の、報告をすることはないと思う

 ・主張2.主張の変化

  今まで書いたものに関係なければ、よし

 ・主張3.読者からのフィードバック

  コメント欄、トラックバックを、開放していても、期待していなければ、よし


 

 ・主張1.に対する考え

  ブログには、読者がいて、実生活では伝えなくてもいい、些細なことまで、伝えようとしなければ、伝わらないから

  また、「人間は変化するもの」という考えは、結局、結果論に過ぎないので、毎日読んでいるブログの変化に気づくのは、難しい

 

 ・主張2.に対する考え

  今まで持っていた主張が変化したが、ブログには書いてないこと、また、それが些細なことの場合は、報告しなくていいと思う

  まぁ、ブログを書いている方にとっては、些細なことでも、読んでいる方には一大事、ということも、ないことはないであろうが

 

 ・主張3.に対する考え

  自分の書いた文章は、誰からのフィードバックも、期待していない、というのであれば、報告しなくていいと思う

  だが、期待している人に関しては、その発言に責任を持つべき

  「忘却の生き物」は、謝罪も、弁明もできるのだから


 


 例えば、xuraさんみたいに、自分は、不変であり、様々な意見の一つ一つを、その時々によって書いているに過ぎない、というのなら、変化を報告しなくてもいい、と考える

 

 また、「主張の変化の、報告」は、ブログの読者の要求すべき権利ではなく、ブロガーが自らに課すべき義務、と考える

 「他人の、題名を付ける才能が、羨ましい」にリンクを貼った、「誠実なブログ」というエントリでも書いたとおり、ブロガーは、読者ではなく、自分に誠実であるべきなのだ

 だからこそ、自分の書いたことに責任を持ち、エントリで矛盾があった場合は、それを認めるべきだと思う



 それにしても、色々考えさせてくれる、xuraさんの存在って、有り難い

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2006-06-0920060609

[]他人の、題名を付ける才能が、羨ましい 23:34 他人の、題名を付ける才能が、羨ましい - 拡散していけど、とりもなおさず を含むブックマーク はてなブックマーク - 他人の、題名を付ける才能が、羨ましい - 拡散していけど、とりもなおさず 他人の、題名を付ける才能が、羨ましい - 拡散していけど、とりもなおさず のブックマークコメント

 歓楽叶わぬ納骨堂庭園の、変わらざるを得ない状況へと

を読んで


 このエントリを読んで思い出したのは、手前味噌だが、2006年2月27日に書いた、誠実なブログ

というエントリ


 人によっては、ブロガーではなく、そのエントリごとに評価すべきだ、という人がいるが、自分は、やはり、一つの連なりとして、ブログを読んでいる

 従って、その人が、以前に主張したことを、思い返しながら、毎日、お気に入りのブログを読んでいる


 人間は、変化する

 当たり前だ


 確固たる主張を持ってしかるべきと思われる哲学者だって、生涯で、正反対の主張に切り換えたりするし(ヴィトゲンシュタインだとか)

 況や、自分のような、凡人のブログ書きおや、である


 

 しかし、その主張の変化が、読者に気づかれないものだとしたら?

 その変化が、そのブロガーの主張の根幹を為す、重要な変化だとしたら?


 上手な例えが思いつかなくて恐縮なのだが、例えば、女好きのブロガーが、突然、同性愛に目覚めた、とする

 それまで、冗談で、ジャニーズのアイドルが可愛い、と書いていたが、その文章が、ある日突然、まるで違った意味を持つ

 それは、ブロガーにとっては、取るに足らないことかもしれないが、読者にとっては、大きな違いである

 

 例えが、悪かった、反省している

 

 

 人間は、忘却の生き物

 自分が書いた文章を、一字一句覚えているのは、至難の業


 しかし、覚えている範囲内でいいから、自分の主張が変わった時は、変わったと宣言すべき

 少なくとも、読者から、何らかのフィードバックを、期待しているブロガーは

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2006-05-2820060528

[]イデア 22:04 イデア - 拡散していけど、とりもなおさず を含むブックマーク はてなブックマーク - イデア - 拡散していけど、とりもなおさず イデア - 拡散していけど、とりもなおさず のブックマークコメント

 なんか、最近考えていることって、プラトンの、「イデア」論みたいな感じだから、勉強しようかな、と書いても、結局、勉強しないだろうな、と不毛な文章を


 「歓楽叶わぬ納骨堂庭園」の感情的な人間が感情を抑えて書くという事を読んで


 まず、元となった記事、「抑制の効いた筆致」という文章

 ittuanさんは、感情的な文章を否定的に捉えているようだが、同じ日の日記のCD評は、ある程度、感情を出さなければ、書けないものだと思うし

 「感情的」というよりは、「無駄に扇情的」と言った方が正しいと思うのだが 


 >「本当に腹が立っていても、それを表に表す必要はないのだ」

 自分は、実生活でさらけ出すことの出来ない感情や些事を書くために、感情を垂れ流すために、このスペースを使っているので、激しく違和感


 >「文章はその人を表す」なんてことをぼくに言った社長がいたが、これは半分ホントで半分ウソだと思う

 確かに、ブログで書く文章は、虚飾に塗れたものだろう

 しかし、長い期間、色んなテーマについて書くと、その人の本質は、絶対に露になる

 例えば、文頭を一文字、空ける空けない、とか、ボキャブラリー、とか

 煽るわけではないのだが、感情を表に出して、嫌なことでもあったのだろうか?


 

 「歓楽」の方は、いつも、一貫してるな、と


 でも、なんだろ、「抑制の効いた」というと、自分の場合は、普段、感情的な人が、感情を押し殺したような態度、を思い浮かべてしまう

 鬱陶しさの塊の、ジム・キャリーが主演した、「マジェスティック」だとか

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2006-05-2220060522

[]ブログ論、というか、感想 19:28 ブログ論、というか、感想 - 拡散していけど、とりもなおさず を含むブックマーク はてなブックマーク - ブログ論、というか、感想 - 拡散していけど、とりもなおさず ブログ論、というか、感想 - 拡散していけど、とりもなおさず のブックマークコメント

 「歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 意思疎通としてブログを使う」の文末を読んで、別に不快に思ったわけではなく、純粋に、HNがわかってないのかな、と思ったので、名前を名乗ってみました、というだけだったのにな

 今回は、あまりTBするような分量でもないので、リンクのみ

 

 ブログを読んでいる時は、作者がどのような人物かを類推しながら読むわけだが、やはり、どんなに文章力のある人でも、ブログの中で語ることの出来ることは限られており、しかも、ブログの内容が限定されている場合は、人物像を特定することは難しいのだな、と思った

 自分の、xuraさんに対する分析は、類推の部分が、大きすぎる

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2006-05-2120060521

[]in the sun 19:30 in the sun - 拡散していけど、とりもなおさず を含むブックマーク はてなブックマーク - in the sun - 拡散していけど、とりもなおさず in the sun - 拡散していけど、とりもなおさず のブックマークコメント

 「歓楽叶わぬ納骨堂庭園」 - 此れがブログ論と言えるかは分らないが

の感想など


 最初に断っておくが、昨日のエントリは、自分の構成力のなさ、計画性のなさのせいで、かなり書き忘れたことがあった

 それで、全部、伝えるべき感想が、伝えたいように伝わらなかったことを、軽く、後悔しているが、自覚しつつも矯正できていないので、もうどうしようもないだろう


 

 まず、xuraさんが、自分に興味を持たないだろうと書いたのは、xuraさんが何度と無く、自分と正反対の人間に惹かれる、と書いていたからだ

 xuraさんが、どう思われるか、わからないのだが、自分は、勝手に、自分とxuraさんが似ている、と感じた

 そして、自分と似ている点を挙げた記事を書けば、xuraさんは、興味を無くすのだろうな、と、またまた勝手に、感じたので、そうなるのを残念に思いながらも、そのまま書いた


 今になって考えれば、自分は、いくらか勘違いをしているわけだ

 1.xuraさんが、自分の事を、似ていると感じるかどうか、勝手に判断している

 2.xuraさんは、xura自身に似ている人間に、全く興味を示さない、とは、(思っているかもしれないが)書いてはいない


 また、xuraさんの記述で、「今の所は私に興味を持ってくれたという事で私も筆者に興味を持ったという事だけは言って置こう」と書いているので、望みはつながれた、と


 

 次に、「ブログ論は、コミュニケーション/ディスコミュニケーション論である」ということ、つまりは、「ブログを使って、どうやって/誰と/どんな場で/いつ/意思相通を図るか/図らないかという論議=ブログ論」という説明が、上手くなされていない、ということ


 多岐に渡る、と省略したが、これは、コメント、TBを受け付けるか/受け付けないか、ということだけではなく、自分のページをどういうデザインにするか、など些細な、しかし、重要な事柄も、含まれる


 例えば、実生活に置き換えてもらえばわかると思うが、他者とコミュニケーションしたい時、自分の服装、言葉遣い、などを考えるのと一緒である


 勿論、ブログはブログの方法論があるし、一概に言えない部分もあろうとは思うが、ブログを、自分のメモ帳(まぁ、もっぱら はてな出張所も、半分、メモ帳と化しているのだが)の用途として使う人以外は、ブログを、意思疎通の場として使っているのだろうから、「ブログ論は、コミュニケーション/ディスコミュニケーション論である」と思うわけである

 あくまでも、自分の定義、と断ってはおくが


 

 あと、似ているな、と思ったのは、ブログに対する姿勢、という部分で

 好きなブログに対する姿勢は、何かから影響をうけるものなのだろうか?

 xuraさんの主観なので、否定はしないが



 最後に、「だから自分を知る為には他者が必要であるというのも私も分っているつもりなのである」というところで、自分は、結局、何も理解せずに、xuraさんが嫌がっている、知ったかぶりをしてしまっていたのだな、ということ

 これが、一番、ショックが大きかった

 ブログを好きだ、と言いながら、何もわかっていない自分に、反省しきり



 自分の勘違いに付き合ってくれて、正直、嬉しかった

 あ、あと、名前は、「もっぱら」ですから

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2006-05-2020060520

[][]贖罪 17:25 贖罪 - 拡散していけど、とりもなおさず を含むブックマーク はてなブックマーク - 贖罪 - 拡散していけど、とりもなおさず 贖罪 - 拡散していけど、とりもなおさず のブックマークコメント

 「歓楽叶わぬ納骨堂庭園」(以下、「歓楽」と略)を知ったのは、もっぱら はてな出張所の、5月16日の記事の、おとなり日記である「で、みちあきはどうするの」の、5月15日の日記から辿って見つけたものだった


 ちょっと、寄り道をさせていただくと、ブログ中毒を自認していながら、最近は、自分でブログを検索して、好みに合うブログを探そうという行為はしていないので、はてなのおとなり日記で、似たような記事を探すのが、新規にブログを見つける手立てとなっている


 で、「歓楽」に惹かれたわけは、自分と似ているな、ということ

 読み進めていくうちにわかるのだが、この一文を書いた時点で、筆者の、xuraさんは、もっぱらには、興味を無くすことだろうが、まあいい


 以前、ブログ論は、コミュニケーション/ディスコミュニケーション論である、ということを書いたのであるが、「歓楽」を読むと、それが判然、見てとれる

 そして、ブログという増幅装置によって、その議論は、最終的には、同じ袋小路までいくことになっている

 所詮、主義・思想の違う他者なんだから、理解できないよね、と

 

 xuraさんは、自分は、ブログ論を書いているわけではない、と書いているが、自分の「ブログ論」の定義は、ブログ、という存在をどう見るか、ブログを使って何をしたいか、と多岐にわたっているので、xuraさんの書いているのは、ブログ論である


 誰もが、人生において、理想を追っている

 しかし、こと、コミュニケーション、ということに置いては、人生は、即興性が高すぎて、後悔の残ることが多い

 かたや、ブログも、長考でき、純粋に理想を追求できそうな感じはするが、身体性に、著しく欠けているという欠点がある

 その、身体性の欠如には、目を瞑りつつ、5W1Hを変えながら、理想のコミュニケーションとは何か、を考えていくのである、予め「知っている」ゴールを目の前に置いて


 そして、凡百ある、ブログ論の中で、何故、「歓楽」に惹かれたか、どこが、自分に似ているか、というと、そのコミュニケーションの姿勢、である


 自分は、以前から、「理解して欲しいが、そう簡単には理解して欲しくない」と繰り返し書いているし、だからこそ、過剰に投稿をし続けているのだろうが、そのコミュニケーション欲とともに、その裏返しとも言える感情、「他者を理解したいが、簡単に理解出来はしない、また、理解できた、と言いたくない」というのが、延々、他のブログへのリンクとともに、語られている


 あと、読んでいて、自分が投稿したのでは、と苦笑してしまう記述が、大いにあった


 好きなブログについているTBは気にしないとか、そのブログが気に入ったら、過去ログを読んでしまうとか(実際、「歓楽」は全部読んでしまったわけだが)、斜め読みするので誤読が多いとか


 ここからは、自分の中の、正反対だな、と思った部分


 自己表現に関して

 自分は、ちょっと話聞いて、と思って書けば、自己表現だと思うので、ブログは、自己表現だと思う


 自分という他者、一生一緒にいても理解できない不気味な他者である自分を、少しでも理解するためには、他人が必要で

 そこらへんの認識は、大きく異なるのかな、と


 上手くまとめる予定だったのだが、まとまらなかったので、何処かに矛盾があれば、誰か突っ込んでやってほしいかな、と

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